日時:平成23年8月4日(第1木) 午後3時~5時
場所:衆議院第一議員会館 大会議室(地下1階)
演題:原発と人間・地球の未来
こいで ひろあき
講師 小出 裕章 氏
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/index.html
京都大学 原子炉実験所 助教
内容
人類が核分裂エネルギーを解放したのは、1945年7月16日のことでした。日本への降伏勧告を協議するためのポツダム会談が行われる日の夜明け、米国の砂漠でトリニティと名付けられた原爆が炸裂しました。千の太陽より明るく輝いたと言われるその爆弾は、次いで8月6日・9日に広島・長崎に投下され、一瞬にして2つの都市を壊滅させました。その強大な力を前に、人類は次にそれを未来のエネルギーに使おうと思いついたのでした。
1950年代から原子力発電が始まり、60年代から70年代にかけて、核保有国を中心に多くの国々が原子力発電に夢を託そうとしました。ただ、核分裂反応を利用する限り、核分裂生成物が生み出されることは必然です。その上、発電などのエネルギー源にする場合に核分裂させる量は、原爆で核分裂させる量に比べて桁違いに多いものでした。広島原爆で核分裂したウランの重量は800gでしたが、現在標準的になった100万kWの原子力発電所では、1年の運転で1トンのウランを核分裂させます。
放射線は生命体に対して有害であり、生み出す核分裂生成物がやがて人類にとって大きな脅威になることは明らかでした。そのため、生み出した核分裂生成物の無毒化の研究も始められました。
しかし、今現在に至っても、核分裂生成物を無毒化する手段を人間は獲得していません。無毒化できない以上、生み出した核分裂生成物は生命環境に出さないよう隔離するしかありません。ウランは天然に存在する放射性物質で、それ自体が有害なものです。しかし、ウランを核分裂させて生み出した核分裂生成物ははるかに有害で、標準的なウラン鉱石が持つ毒性まで毒性を低下させるには、100万年に亘る隔離が必要です。100万年に亘る隔離を科学が保証できる道理はありません。自分が生み出す毒物を無毒化できず、生命環境からの隔離も保証できないのであれば、ただそれだけの理由で原子力など選択すべきでないと私は思います。
その上、ひとたび、原子力発電所が事故を起こせば、その被害は破局的です。日本では、産官学を含めた「原子力村」が原子力発電所の事故は決して起きないと繰り返し繰り返し宣伝してきました。しかし、原子力発電所は機械であり、事故から無縁な機械はありません。それを動かしているのは人間で、人間が神でない以上、誤りを犯します。
私は40年間、いつか破局的事故が起きると警告を続けてきましたが、ついに恐れていた事故が福島原子力発電所で起きてしまいました。それを防げなかったことを、言葉に尽くせず無念に思います。この事態を受けてなお日本では原子力発電所が動いていますし、停電はいやだから原子力は止むをえないと考える人も多いようです。しかし、原発を即時全廃しても電力供給は間に合います。また、電気が足りようと足りなかろうと原発は廃止すべきものと私は思います。
講師自己紹介
第2次世界戦争が終わった4年後、東京の下町に生まれました。
敗戦の年の3月の空襲で焼け野原にされた東京の復興とともに成長し、原爆を含めた戦争の恐ろしさを一方に感じ、一方では成長していく社会のために、原子力こそ未来のエネルギー源だと信じました。 1968年、夢に燃えて東北大学の原子核工学科に進学しました。 しかし、原子力の資源であるウランは貧弱な資源でしかありませんでしたし、原子力発電が抱える危険は都会では引き受けられず、過疎地に押し付けられました。また、日本であたかも別物であると宣伝され続けてきた核と原子力が実は同じものであることを知り、一刻も早く核=原子力を廃絶したいと思うようになりました。 1974年、京都大学原子炉実験所助手となり、2007年4月に大学教員の呼称変更に伴い、現在は助教です。 研究テーマは、核=原子力施設による環境汚染の解明、原子力施設事故の解析、原子力を含めたエネルギー問題など。伊方原発訴訟住民側証人。人形峠のウラン残土訴訟で住民側に立ち、地裁・高裁あわせて8通の意見書を提出しました。
著書に『放射能汚染の現実を超えて』『原子力と共存できるか』(共著)、「人形と峠ウラン鉱害裁判:核のゴミの後始末を求めて」(共著)、『隠される原子力・核の真実』、『原発のウソ』などがあります。
また、1987年版から年度版百科事典「イミダス」の原子力の章を執筆しています。