第125回 平成23年9月8日 
日野原 重明 氏

日時:平成23年9月8日(第2木) 午後3時~5時
場所:衆議院第一議員会館(新館) 大会議室 (大震災直後の延期分)
演題 :サイエンスとアート(音楽、その他)による癒し
日野原 重明 氏
ひのはら しげあき
講師  日野原 重明 氏 医師、医学博士
聖路加国際病院 理事長、 日本音楽療法学会 理事長、 新老人の会 会長


内容

[Ⅰ]
1.人間の歴史の中でのサイエンスとしての医学とアートとしての医療の変遷について
2.ヒポクラテスの誓い
3.西洋におけるサイエンスとしての医学の発達の歴史
4.漢方医学導入の歴史
5.日本における西洋医学の導入の歴史-蘭学とドイツ医学と英国医学
6.明治以降、第二次大戦までのドイツ医学の導入
7. 終戦後のアメリカ医学の導入
8. 昭和26年日米講話条約締結直後からの1年間の私の留学
(幅広い臨床医学と効率のよい研修システム)
9. 日米の医学校の差異
10. 日本における卒後研修医制度の変遷について
[Ⅱ]
1.医学におけるサイエンスとアート
2.医学の中のサイエンスとアートの歴史
3. 癒しのわざとしての音楽
[Ⅲ]音楽療法、その他
1. 終末期のホスピスでの癒しの技としての音楽療法
2. 音楽による自閉症、難病、認知症の癒し
3. 音楽療法学会による音楽療法士の認定
4. 音楽療法、特に介護の施設における音楽療法の身分法への努力
5. アロマ(においの感覚)療法の出現
6. 全人的医療としての音楽、その他による治療
7. サイエンスとアートの和合による癒しの力
[Ⅳ] 音楽療法、その他について
1. 音楽のperformanceにおける音楽療法士の役割
2. 音楽療法士の身分法について


講師自己紹介

1911年、9人家族の次男坊として山口県に生まれる。
父・善輔は牧師をしていたが、アメリカ留学後、神戸中央メソジスト教会牧師、後に1930年より広島女学院の院長となり、戦時中に牛田山にキャンパスを拡大、65歳に定年後は上京し牧師職を続ける。父の影響を受け、7歳で受洗。

諏訪山小学校、関西学院中学部、京都の第三高等学校を経て京都帝国大学医学部に入学。学費は教会関係者の奨学金を仰いだ。 在学中に結核にかかり、大学を休学。当時父の広島女学院長館で約一年間闘病生活を送る。1937年に京都帝国大学を卒業。1941年に聖路加国際病院の内科医となり、内科医長、院長を歴任する。2001年12月に出版した著書「生きかた上手」は120万部以上を売り上げ、日本最高齢のミリオンセラー作家となった。

高齢者の希望の星的存在となっている。2005年文化勲章を授与される。現在は同病院理事長であり、数多くの著書でも知られている。また、日本ユニセフ協会の大使に任命される。父親が戦中院長を務めた広島女学院で2008年4月から客員教授も務める。執筆に携わった絵本「葉っぱのフレディ-いのちの旅-」は後にミュージカル作品となっている。98歳を超えてもなお、スケジュールは2,3年先まで一杯という多忙な日々を送る。わずかな移動時間も原稿執筆に使い、日々の睡眠時間は4時間半、週に1度は徹夜をするという生活だったが、98歳にして徹夜をやめ睡眠を5時間に増やした。病院ではエスカレーターを使わないことにしている。

2010年世界宣教東京大会顧問。